​藤枝大祭りご案内&歴史

藤枝大祭りの歴史

藤枝大祭りは、江戸時代以来の伝統と歴史があります。

江戸時代、田中城の鬼門を守る青山八幡宮の大祭に、藤枝宿の屋台が神興披露の行列に付き従ったのが始まりです。
万延元年(1860年)の「川原町岩崎家文書」によれば、青山八幡宮大祭の最終日には、田中城内に屋台が入り、藩主や藩士に披露されたことがわかります。
これが明治4年(1871年)に出された廃藩置県令で、田中藩が解体され、藤枝宿の総社飽波神社(延喜式内社)大祭にこの屋台の曳き回しが移行されました。飽波神社大祭は、寅・巳・申・亥の年に施行されます。現在ではこの大祭を「藤枝大祭り」と呼んでいます。

明治時代までは、写真のような江戸でもっとも発展した「三層高欄型山車」と、唐破風屋根に踊り舞台を備える「踊り屋台」とが結合する独自な山車屋台でした。これが、文明開化の象徴でもある電線と電話線の敷設により、三層高欄部分がどうしても電線と電話線にかかってしまうため、やむなく踊り屋台(幕引き屋台)のみの形態にかわりました。それまでは、山車の上に飾る人形(ネリ物)を競いあい、そのネリ物に合わせての手踊りが披露されていました。この手踊りは屋台の舞台での上踊りと、地面での地踊りに別れていました。三層高欄の部分がなくなると、ネリ物の競い合いにあわせての手踊りも下火になりかけたのですが、左車出身の六世芳村伊十郎(長唄家元)を迎え、大正5年(1916年)に、現在のような長唄による地踊り披露と言う形態が整えられました。

藤枝大祭り参加14町

大祭りには旧藤枝宿の九町と隣接五町の、合わせて十四町から屋台が惹き出されます。

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